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病気(ガン)に関するニュース(読売新聞)

メモ

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November 2004

November 28, 2004

退院して1日目

入院先の病院は、設備も整っていてホテルみたいだったし
医師も看護婦さんも、本当に良い方ばかりで快適だったけれど
やはり家が一番落ち着きます。
まだ部屋の整理が追いつかず、多少散らかっているのに
そんなこともあまり気にならず
きのうから、ブログの更新ばかりしていますが・・・。

退院の3日くらい前に体からドレーンが抜けたのですが
昨日の夜あたりから、手術したあとのつっぱり感が
ひどくなってきました。
入院中は、術後直後から痛みは皆無に等しく
動けるようになってからは、平気で水平ラインまでは手を上げたりしてたんだけどな。

でも今日は、だんだん不快感と引きつれ感と軽い痛みが増してきたので
自分の胸を、鏡に映して見てみました。
傷口にはまだテープが貼ってあるのですが
やはり、それでもまだ生々しく、
周辺は内出血を起こしているような、痛々しい感じ。

すると以前先生からも言われていたとおり
早速、乳房に「リンパ液」がたまり始めている様子。
触ると一部がプヨプヨしています。ひ~。
次の外来は12月1日なので、その日までは何もできないしなぁ。
病院へ行ってもいいんだけどどうせあさって行くのだから、と思うと
明日慌てて行くのもちょっと・・・と思ったり。
けど明日さらにプヨプヨになっていたら
やっぱり行かないとだめそうだな、と思ってます。

退院後、妹に白髪を1本発見されました。
思わず私が「苦労したんだよ~」と言ったら笑っていましたが。

今日は今日で、夕食をとっていたら
母が私の顔をマジマジと見ながら「ななこ、あなたいい顔になったわね。」と。
突然何を言い出すのかと、何も切り返せないでいると
今度は父までもが「本当に、すっかり優しいいい顔になった。」と言ってきました。
(それじゃあ、私は今まで一体どんな顔をしていたの!?)
と突っ込みを入れたくなりましたが「そうかなぁ」と軽く流しておきました。

それにしても、私は今まで「かぶりもの」の上着しか持っていなかったので
前開きの服が少なくて困っています。
今月のお給料が出たので、買わなくちゃな~。

November 27, 2004

退院しました!

ななこです。

本日の朝、無事に退院しました。
病気を告知されたのが先月25日なので
ちょうどあれから約1ヶ月です。

入院前は不安でたまらなかった手術(乳房温存となりました)も
終わってしまえば、今日で10日が過ぎました。

家族や彼をはじめ、普段なかなか会わない親戚や
最近は疎遠になっていた友達も
入れ替わり立ち替わりでお見舞いに来てくれて
この短期間で、こんなにたくさんの人と深い話をしたのは初めて!
というくらい、予想外に楽しい入院生活になりました。

入院期間中の約12日間については
これから少しずつ記事をアップしていきたいと思います。

気にかけていただいたみなさま、どうもありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。

なお、現在ブログ・ランキングに参加しています。
クリックしていただけると嬉しいです。

ななこ

November 19, 2004

■回想■入院4日目~手術翌日~

朝起きたら腰が痛くてたまらなかったので
リモコン操作をしてベッドを上体の約30度くらいまで起こして
体のバランスをとるようにしました。
健康なときにはわからなかったけど、寝返りが打てないというのは
大変なことです。

私みたいに左側を手術している場合は、
右側にしか体の向きを変えられないので
真上を向いているときは右に向きを変えたくなって
右を向いているときは真上を向きたくなり
何度も向きを変えました。
でもまだチューブにつながれていたので
体の向きを変えるのも大変でした。

手術翌日のこの日から、食事がとれます。
私にとっては「待ちに待った食事!」という感じで
全粥でしたが、きれいにペロッと平らげました。

ここの病院では、毎食後「食事を食べた割合」を聞かれます。
10段階で表し「1」だと「全然食べられず、残した」ですが
「10」は「残さず全部食べた」を表します。
なので半分くらいしか食べられなかった場合は「5」ということになります。

この日は夕方くらいに先生方の回診がありました。
そのときに「朝食と昼食の割合を教えてください」と言われたので
私が「朝10、昼10です」と答えると、先生方が目を丸くされて
「よく全部食べられたね~、これは回復も早そうだ(笑)」と爆笑されました。

私ってそんなに食い意地張ってますか?(^^;

病室にはテレビも、ダイヤルアップでのインターネット設備もありましたが
私は普段あまりテレビは見ないし、ネットも試してみたけれど
テレビのリモコンで、携帯みたいに1文字1文字時間をかけて打つタイプの
ものだったので、時間がかかってイライラするので、これは諦めました。

その代わりに大量に持ち込んだ本を読んで過ごしました。
看護婦さんは朝・昼・晩と担当が入れ替わるのですが
そのうちの1人の方から「ななこさんは本当にいっぱい本を読むのね~。
よく『聡明』って言われない?」と言われて「言われないです」と即答。

この話を彼に伝えると「ええ~、君が聡明!? 全然違うのにな~(笑)」と
これまたあっさり否定されました。ふん、ふん!!!

外部との連絡ツールとしては、携帯メールを使いました。
院内では使用禁止のところが多いのですが
私がいた病院(の病室)では「点滴をしているときだとか
近くに何か器具が置いてある時は、誤作動を起こすから携帯は使わないで。」
と言われていたのですが、そうでないときは使わせてもらえたので助かりました。

この日の夕方には尿道カテーテルが抜けて、自分でトイレに行けるようになったり
廊下を少しずつ歩く練習をしたりして気持ちが楽になりました。
カテーテルはやはり違和感あったしね~。

November 18, 2004

■回想■手術当日(2)

「ゴホッ、ゲホッ、ゲホッ!!!」

自分が咳き込む声で意識が戻ったのがわかりました。
咳き込んだ理由は、麻酔が切れて自発呼吸に切り替わるときに
器官に入ったチューブを抜くため。
術前の麻酔科医の説明でも「術後、むせて目が覚めるかもしれません」
と言われていたのを思い出しました。

そうは言っても何といってもまだ手術直後だから
私自身が麻酔科医の説明を思い出したのは
しばらく経ってからです。

手術室のスタッフの「ななこさん、わかりますか?手術終わりましたよ!」
の声で目をぼんやりと開けてみました。
数人のスタッフが私を覗き込んでいたような気もしますが
私はすぐに目を閉じてしまいました。
するとまた先ほどと同じスタッフの声で「(乳房は)残ってますよ!」
という声が聞こえてきたので、再び目を開けてみました。
その時点ですでに意識ははっきりしたいたけれど
どうも目を開けていると力が入ってしまうので目を閉じてしまったのですが
ストレッチャーで病室に運ばれていくときも
「ななこさん、目を開けて!」と何度も言われました。

意識はあるけど、やはりまだ朦朧としたいたのでしょう。
手術室に入るときはあれほど長く感じた、病室から手術室までの距離が
帰りにはとても短く感じられました。

気が付くと「いっせーのせ!」でストレッチャーからベッドに移され
心配そうに私の顔を覗き込む、両親と妹、親戚の叔母(母の妹)である
おばさんの姿がありました。

口には酸素マスクをつけられ、尿道カテーテルも入れられて全身チューブだらけ。
まさに「ガリバー旅行記」のガリバー状態。
手術した直後なので、痛みがあるかと想像していた左乳房は
特に痛みも感じませんでしたが
その代わり、手術した傷から少し離れたところに
「ドレーン」の管が埋め込まれていて、リンパ液がたまる箱も
一緒にぶら下げられているのがわかりました。

酸素マスクをつけつつも、私が「なんだかすごい格好だよね」と
家族に向かって言うと、みんな「あっ!もうしゃべってる!」と驚いていましたが
乳がんの手術は、他の病気と比べると、体への負担は軽いらしい。

これがもし消化器系の病気で、開腹手術をしていたり
入院中に何人かいたのですが開頭手術をした人たちは
術後の痛みで本当に大変そうだったからです。

私の手術は朝9時に始まり、12時までには終わっていたので
この日はチューブにつながれたまま
ずっと横になっていたのですが
何がつらいって、腰がものすごく痛かったです。
これはベッドに長時間同じ体勢でいると
腰に負担がかかるからのようですが
妹が何度か体勢を変えるのを手伝ってくれたので
他の人みたいに、痛い、痛いという前に腰の痛みは引きました。

手術当日は絶対安静のため、食事はもちろんとれません。
その代わり、もし術後半日くらい経って
腸がちゃんと動いているのが確認できれば
水分だけはとってもOKとなります。

その日の夕方ちょっと過ぎに先生方の回診があったのですが
もともと食べるのが大好きな私は
いくら点滴で栄養を入れているとはいっても
もうおなかが空いて限界に達していました。
回診にきたDr.の中で一番偉い先生に
「あの~先生、私おなかが空いちゃってもう大変なので
水分をとってもいいでしょうか?」と聞くと
「お水ならいいよ。」と。
「お水だとお腹いっぱいにならないので、りんごジュースを飲んでもいいですか?」
と聞くと目を丸くされて「気持ち悪くならなければ、飲んでもいいけど、
普通全身麻酔をかけた日というのは、気持ち悪くて吐いちゃう人が多いから
水のほうがいいかもしれないよ。でも・・・若いからね、お腹も空くよね、
いいよ、飲んでも!!!」と言われてラッキー!

ろくに体も動かせないのに、ベッドの右脇にあったミニ冷蔵庫に手をのばし
手探りで扉を開けると、中に手を突っ込んでりんごジュースを取り出し
ようやく自分の口元まで運びました。

ところが「ハッ!」と気付き、もともとベッドをほぼ水平のままにしてあるので
私がりんごジュースを飲もうとすると、下手するとこぼしてしまいそうになるのです。
すると、ふと横を見ると妹がストローを用意してくれているのを発見。
右手だけでストローを中から取り出して
ようやくりんごジュースを飲むことができました。
そのジュースはとてもおいしく感じられました。

■回想■手術当日(1)

手術当日は、自分でも目覚ましをセットしておいたけど
それよりも早く看護婦さんが6:30am頃起こしに来てくれました。

もちろんこの日は何も「飲まず、食わず」です。
飲食に関しては、手術前日までという規定があり
----------------------------------------------
飲み物・・・前日の午後9時まで
食べ物(固形物)・・・前日の午後7時まで
----------------------------------------------
と決まっていました。

洗顔したり、髪をとかしたりしてごく普通に過ごしてましたが
7:00am過ぎに家族が到着。
両親や妹の顔を見て(あー、いよいよだぁー。)と思いました。

~7:30am~
パジャマから手術着に着替えて、T字帯を着用。
ふんどしみたいで、かなり変な感じであった。
そのあと「弾性ストッキング」を履いたのですが
これを履くのは結構大変です。
締め付けが強いので、ゴム手袋みたいな素材の中に
足を入れていくと考えてもらえればわかりやすいと思います。

これは普通のストッキングとは異なり
手術中に「エコノミー症候群」が発生する可能性を
最小限に食い止めるために履くのだそうです。
術中は血液の流れが悪くなるので
特に中高年になると、足に血栓が出来やすく
それが手術中に他のところに「ポーン!」と飛んだら
大変なことになるので、それの予防とのこと。

弾性ストッキングは、手術当日と翌日はずっと履いていなければなりません。
でも意外と締め付けが強いので、気になる人は気になるらしいです。

~7:45am~
いよいよストレッチャーに乗る。
このストレッチャーは前日夜から私の病室の前に置いてあったので
それを見るたびにドキドキしました。
お見舞いに来る人に「明日はあれに乗るの~」と言ったら
みんな固まっていましたが・・・。

ストレッチャーに乗ったら、意外と幅が狭くてびっくり。
いや、ストレッチャーの幅が狭いのではなくて
私の体の幅が広いと言ったほうが正確なのですが(笑)
同室の女性にも「大丈夫だからね、気をしっかりね!」と
手を握り締められて励まされた。

続いて、妹、母、父の順に私の手を握り締めて
同じように励ましてくれた。
それから、中野のおじさんの妻である「まる子おばさん」も
朝から駆けつけてくれました。

家族は手術室の入り口まで着いてきてくれたけれど
家族控え室は、手術室の近くにはなくて
私の病室の隣りの隣りにあったので
みんな手術中はそこで待っていてくれました。

私は普段コンタクトをしているのですが
この日は外していたので、あまり周りがよく見えませんでした。
手術室は、病室とは別棟にあったので
かなり移動距離がありましたが
私がストレッチャーで運ばれていくとき
周囲にいた見舞い客らしき人たちが、私の顔を覗き込んでいるようでした。
内心(いや~ん、見ないで~!!!)って叫んでましたが。
私がいた病院は、お見舞いが朝7時から可能だったので
朝早くても、けっこう見舞い客がいたのです。

手術室の入り口で、いよいよ家族ともお別れ。
看護婦さんに「それでは、このあとは控え室でお待ちください」と言われていました。

「手術室」と書いてあるところに入ったら
すぐに手術台が待っているのかと思いきや
中はさらに奥行きがあって、全部で14前後の手術室がありました。

私と同様に、ストレッチャーに乗せられている患者さんが
飛行機の離陸待ちみたいに、ぞくぞくと運ばれてきてました。
ふと横を見ると、50才くらいの男性もストレッチャーに乗っていて
目が合ってしまったのですが、不安そうな面持ちでした。
そりゃそうだよなぁ・・・。

ここで看護婦さんに「それでは、頭に帽子をかぶせますね」と言われて
女性がよくお風呂場でかぶるような、ビニールの帽子をかぶせられました。
そして、今度こそ本当に私が手術を受ける手術室の前まで
連れて行かれました。

ここで若い男性看護師が現れて
私の耳元で「ななこさん、看護師の○○と申します。
ちょっとここで手術着を脱ぎますので、失礼しますね。」と言われてびっくり。
その看護師さんは手早く私の手術着を脱がせにかかると
裸が周りに見えないように、すかさずシーツみたいなのを
体の上にかけてくれました。
まだまだ数は少ないそうだけれど
男性の看護師さんも看護職に就いていることを目の当たりにして
ちょっと感激しました。

手術室に入り、手術台に乗せられて上を見ていると
まるで宇宙船の内部のようでした。
周りをキョロキョロ見ていると
スタッフが10名ちょっといたらしくて
(私1人の手術のために、こんなにたくさんの人が関わってるんだ~)と
ここでもまたびっくりしてしまいました。

それにしてもこれから手術を受ける人間が
あまりキョロキョロしているのも変なので
ちょっと目を閉じていたのですが
気配を感じて目を開けると、麻酔科医ヨン様の姿が・・・!
ヨン様も手術着仕様のため、目のあたりしか見えませんでしたが
「手術、頑張りましょうね」なんて声をかけてくれて
(あら~、この人やっぱりヨン様かも!)なんて思いました(笑)

そうこうしているうちに、ヨン様のアシスタントっぽい
女性の麻酔科医が「それでは、点滴をします」と言い
「ちょっとチクッとしますよー」と言いながら、針を刺してきました。
この時点で、私の鼻と口にはすでに酸素マスクがつけられていました。

(あ~いよいよ全身麻酔のときがやってきた~)
なんて思っていたら、周囲のスタッフ同士の会話から
「先生(執刀医)の入室は、9:30amです」と聞こえてきて
(家族のこと、待たせちゃうなぁ。)と思いながらまた目を閉じました。

女性の麻酔科医が「それでは、これからお薬(麻酔薬)が入りますね~。」
という声が聞こえてきたので(酸素マスクでしゃべれないから)
「ウン、ウン」と一応、頭だけ頷いてみせました。
(もう、体内に薬が入り始めたのかしら~?)って思っているうちに
ものの10秒もしないうちに、意識が飛んだようです。(早っ!)

---私が乗ったストレッチャー---
st

November 17, 2004

■回想■入院2日目(2)

看護婦さんから「午後3時以降、麻酔科の先生が
手術時の麻酔の説明に来ますから病室にいてくださいね」と言われたので
2時頃はまた食堂の眺めのいい席に座って本を読んでいたのですが
2時半になるかならないかくらいに
「ななこさん!麻酔科の先生が来ましたので病室に戻ってください!」と
看護婦さんが呼びにきたので、慌てて戻る羽目に・・・。

麻酔科の先生というくらいだから
(どんないかつい先生が来るのかなあ?)なんて思ってましたが
実際は、30代半ばくらいの、ヨン様風の若い先生でした。
あ、私は別にヨン様ファンではありませんよ~(^^;

病室では、ヨン様から全身麻酔の説明を受けました。
当日は、全身麻酔をかけたあとに
口から気道を確保するための管を入れるのですが
その管を入れると、抜くときに喉に傷がつきやすいため
術後、喉が腫れたり痛くなったりする、とまず言われました。

また、全身麻酔の影響で、術後に気持ち悪くなって
吐いてしまうこともある、と聞いて
一気に気持ちが引き締まる思いがしました。

麻酔に関する同意書にサインをして
先生に渡すと、説明は終わり。
今は何でも、同意書が必要なのね。

夕方になって、会社の後輩が来てくれました。
彼女は海外生活が長かったせいで
本人いわく「日本人のお友達は少ないんですけど
なんかななこさんはお姉さんみたいで気が合うし
いろいろとしてあげたくなっちゃう」のだそうです。

私も、仕事をしているときから、彼女はおもしろい子だな~と思ってたので
彼女と仲良くなれて嬉しかったです。
手術の前日だから、本来であれば気持ちが落ち着かずに
ザワザワしていたはずなのに
彼女とおもしろおかしい話をしていたので
私は意外といつも通りに過ごしていました。
後輩に感謝。

私の手術は、予定通り18日の朝9時開始に決まりましたが
それは執刀がその時間に始まるということで
実際は、8時には手術室に入り、麻酔をかけられることになっていました。

手術前日ということで、夕食が終わった後に看護婦さんから
「これ、睡眠薬と下剤ですので、飲んで寝てくださいね。」
と渡されました。私が「下剤はわかりますけど、睡眠薬も
飲まないといけないんですか?」と聞くと
「手術の前日は、普段良く眠れる人でもいろいろと思い悩んでしまって
寝付けなくなってしまう人が多いんです。
もし眠れそうなら、飲まなくてもいいですよ。」と言われたので
「私、寝つきはいいので大丈夫です。」と言って睡眠薬は返しました。
本当に飲まなくて返す人はあまりいないみたいで
看護婦さんはちょっとびっくりしていましたが
この日は、彼もきたし、後輩も来てくれたしで
いろいろと話し疲れていたせいか、私はあっという間に眠りに落ちました。


■回想■入院2日目(1)

入院2日目。
手術前日ということもあって、この日は特に検査はなし。
けれど気分的にはやっぱり落ち着かない。

それにしても病院の朝は早い。
というより夜の消灯も早い。

1日の流れとしては、朝食が8時。
昼食が12時。夕食が6時。そして消灯が9時。

今までの私の生活は、勤務時間が不規則だったので
1日足りとも同じ時間に食事をしたり
同じ時間に寝たり、というのがない生活でした。
大体、今までは夜の1時とか、遅いときでは2時まで起きていたので
いきなり「消灯9時」というのは、検査以上にきつかったです。
無理やり寝ても、夜中に目が覚めるから(笑)

さて、お昼くらいに彼がお見舞いに来てくれました。
そのとき私は、病室ではなく、食堂で窓の外の景色を眺めていました。

食事の時間は外していたので、普段はにぎわっているはずの食堂も
私だけしかおらず、そこに彼が現れました。

窓の外は病院じゃなかったら、デートスポットにでもなりそうないい眺め。
私は彼に「昨日の夜、手術するところをマーキングされたんだ」と言うと
彼は「どれ。」と言って、私のパジャマの首のところから
中をのぞきこみました。

「あれ?左胸が青くなってるよ。」
「あー、これはマーキングしていたマジックの色が落ちたの。
病気のせいで皮膚が青くなってるわけじゃないよ。」
「ほんとだ、パジャマにインクの色が写ってる。」

すると彼がそのまま首のところから
手をスッと入れて、胸を触ってきたので
「こら~、何するの~」と言ったら「いいじゃん!」と。
私が「だめ!」と言ったら、今度は顔を近づけてきたので
「もっとだめっ!ここは食堂なんだよ。
誰かが入ってきたら、どうするの!」と言うと
「誰も入って来ないし、入ってきてもここは死角だから見えないよ。」と。
確かに私がいたのは柱の影だから、入り口からは見えません。
でもねぇ・・・。

思わず私も、入り口の方を振り返って
誰も入ってこないのを確認したところで・・・
電車男」でいう「大人のキス」をしてしまいました。
しかも数回・・・。昼間から何をやっているんだか☆

しばらくしたら、入り口から人が入ってくる気配がしたので
パッと離れたけど、大丈夫だったかなあ???

その後、私の病室に戻り、しばらく彼と話していたけれど
彼がまだ不満そうな顔をしているので
私が隣りの人との仕切りのカーテンをサッと閉めると
今度は立ったまま抱きしめてきました。

私が小声で(ちょっと!隣りに人がいるんだから!)と言うと
さすがに短い時間で離れましたが・・・。
でも気付いていただろうな、隣りの人(^^;

実は、彼はこの日から12月の初めまで出張が入っていたので
しばらく会えないのです。
しかも私の見舞いのあと、そのまま出張先に向かうことになっていたので
あまり時間もなく、早めに切り上げて帰ることに。

彼を外来棟の玄関まで送っていくことにしました。
エレベーターを待っていると、しばらく来なかったのですが
ようやく来たエレベーターには、他に人が乗っていなかった。

2人で乗り込み、扉が閉まった瞬間に、どちらからともなく
また「ひし!」と抱き合ったり、キスしたりしてしまいました。(おばか~)
10階から1階まで、エレベーターは一度も留まらなかったので
意外と長い時間だったような気がします。
「チン!」と1階についた瞬間に、また「パッ」と離れました。

私が入院していた入院棟から、外来棟まではけっこう距離があります。
入院棟にはパジャマを着たままウロウロしている人が多いけれど
外来棟に近づくと、さすがにパジャマ姿の人はグッと減ります。
それでも私がお構いなしにズンズン進んでいくと
彼のほうが「これ以上先は、パジャマでは来ないほうが
いいんじゃないの?」と言うので、私は入院錬と外来棟の境界線までで
そこから彼を見送ることにしました。

いつもだと、別れ際、彼は一度「バイバイ」すると
振り返らずに行ってしまいます。
いつだったか、私がそのことを責めて「私は別れてからも
あなたがもう一度振り返るんじゃないかと思って
振り返っているのに、あなたはいつも振り返らずに
とっとと行ってしまって、背中しか見えない」と言ったことがあります。

彼は彼で「俺だって振り返っているけど、君のほうこそ
振り返らずにスタスタ歩いて行っちゃうじゃない!」と。
そうだったの???

だからなのか・・・。
境界線で「バイバイ」したあと、ちょっと進んだところで彼が振り返りました。
私がにこにこしながら手を振ると、彼は前を見て歩き出しましたが
またしばらくしたら振り返りました。
なので、また私がにこにこしていると
彼はまた歩き出しました。

ガラス張りの玄関を出るとき、彼はまた振り返ったので
(それがおかしくて)私が軽く手を振ると
今度は彼も大きく手を振ってきました。
彼の姿が見えなくなるまで、私は玄関のほうを見つめ続けました。
正確には数えてないけど、5回くらい振り返っていたような・・・???
しつけも大事だと感じました(笑)

ハーレクイン?のような内容で失礼しました。

November 16, 2004

■回想■入院1日目(2)

夕方6時から、術前の最後の説明をM先生から受けました。
父も仕事を休んで一緒に来ると言ってましたが
手術当日も休みをとるつもりだと言うので
「お父さん!術前の説明のために無理して休みをとらなくてもいいよ!
私は自分の胸を切るより、お父さんの首を切られるほうが
よっぽど怖いよ!」と言ったら、父もそれ以上は何も言ってこなかった。

私の父は、長年勤めた会社を定年直前に退職している。
個人経営の会社だったので、長年「社長」と気が合わなくて
本人としては大変だったらしい。
ある日突然、会社を辞めてきたときにはびっくりした。
まさかそんな行動に出るタイプの人だとは
夢にも思わなかった。

その後、ご縁があって取引先の社長に声をかけていただき
今の会社に59歳ギリギリで入れてもらったのですが
やはり、立場的には微妙らしい。
入社前は「65歳まで働いてほしい」と言われていたけれど
実際は、そこまで働かせてもらえるのかどうかは会社の業績次第らしい。

だから娘の私としては、リストラの対象になるようなことは
できるだけ避けてほしいのです。
本当は手術当日も、無理に休まなくてもいいんだけどと
思っていたけど、さすがにこれは父も譲りませんでした。

結局、術前の説明は、私と母と妹の3人で受けることに。
説明を受けるのは、最初の告知から数えると
私は3回目、妹は2回目、でもこの日の説明が
先生との初顔合わせでもある母は
やはりどこか緊張した面持ちだったし
実際に説明を受けているときも
私の病状、再発・転移の確率がハイリスクであること、
当日の乳房の切除方法などを聞いていくうちに
母の顔色が蒼白になっていくのを見ているのがつらかった。

手術を受けるにあたり、病院からはいろいろな同意書を渡され
「担当医師から治療・検査の内容について十分な説明をされたので
それについて同意します」という意味でサインを求められるのですが
麻酔に関する同意書、輸血に関する同意書、そして
手術に関する同意書では
「1.全摘希望 2.4分の1切除(乳房温存手術)希望だが
万一、手術開始後に乳房温存が不可能なくらい進行していたら
全摘に切り替え 3.温存不可能とわかっても、4分の1切除にとどめて
全摘手術は後日改めて行う」

上記のいずれかを、遅くとも前日までに同意書に書いて
渡すように言われました。
私は前にも書いたとおり「2」と決めていましたが
その場で先生に即答するのを避けたのは
やはり乳房に未練があったからなのでしょうか。
前日の夜に「2」と書いて、M先生に同意書を手渡しました。

この術前の手術説明には
M先生のほかに、K先生やT先生も立ち会ってくれていたので
説明が終了したあとも「M先生は、前日までと言っていたけど
もしも、そのあと気が変わっても大丈夫だから。
手術室に入る直前まで、変更は可能だから、よく考えて。」と言われました。

それを聞いたら、かえって(やはりこのまま「2」でいこう)という決心は
変わりませんでした。

さて翌日は、彼(じゃない彼)と、会社の後輩(でAHCCを分けてくれた子)が
お見舞いに来てくれました。

■回想■入院1日目(1)

ついに入院の日がやってきました。
朝は10時には入院するように指定されていたので
早めに起きて、身の回りを整えて、旅行かばんにいろいろつめて
8:30頃家を出ました。母が付き添ってくれました。

同じ日の夜に、執刀医による術前の説明が控えていたので
母には「病院に1日中いたら疲れちゃうから
入院は一人でもできるし、朝から来なくていいよ~。」と
言ってたのですが、母は「でもね~。娘が入院するのかと思うと
そんなこと言ってられないでしょ~。一緒に付いて行くから。」と
行ってくれました。ありがたかったです。

電車に乗って、何とはなしに窓の外を見ていました。
風景が過ぎていくのを、ぼ~と見続けていました。
頭には何も浮かんでこなかった。
ただ、これからの入院生活や手術のことが不安でした。

予定よりも早く病院に着いたけれど
入退院センターは混み混み。
銀行の窓口みたいに、順番待ちの番号札をとって待ちました。

退院する人のために、自動清算機があるのですが
順番待ちをしているとその金額が見えてしまうのです。
普通に「20万」とか「30万」とかいう数字が見えてきて
(やっぱり入院すると医療費も半端じゃないな~。
私のときは一体いくらかかるんだろう…。)と思いました。

それにしても、大きな病院で
院内にカフェあり、郵便局あり、そして中庭あり。
でも一番気に入ったのは、病院独特のにおいがしないことと
建物自体がホテルみたいにきれいだったこと。

入院の手続きが済むと、私は10階の病院に案内されました。
係りの人(事務の人?)に病棟内を案内してもらいました。
各部屋にシャワーとトイレが常備されていてびっくり。
しかも各階に食堂(兼談話室)があってさらにびっくり。
見晴らしも最高。私は高いところが好きなのでこれは嬉しかった。

病室は2人部屋で私は廊下側。
窓側は明るくて眺めもいいし、シャワーとトイレも近いし
人気なんだろうな、と思いました。

洋服からパジャマに着替えると、一気に入院患者に変身。
この病院では腕に各患者専用のバーコードの付いた
紙の腕輪を付けられます。
例えば食堂で、このバーコードを通すと
その患者さんに合った内容の食事が出てくるというわけ。
今は何でも機械化されていて便利だね。

担当の看護婦さんは優しそうな人。
(※現在は「看護師」という名称であることはわかっていますが
あえてここは、以前のとおり「看護婦」という名称を使わせて
もらっています。)

入院にあたり、病院側が知っておかなければならない
「患者について」を問診されました。

「病気になって自分の中で変わったことは何か」
「宗教には入っているか」
「入院中の自分の目標」などなど
思わず「えっ!?」というような質問もあったけれど・・・(笑)

受け持ちの担当医は3人。
1人は主治医兼手術当日の執刀医でもある女医のM先生(40代後半?)。
もう1人は、研修医を終えて数年?と思われる
私とほぼ同い年くらいの女医のK先生(たぶん30代前半)。
そしてもう1人は、パッと見で「研修医」とわかるT先生。
年齢は20代後半。左手薬指には結婚指輪。
優しそうな感じなので(うん、この人が結婚してるのはわかる気がする)
なんて思う。後日お見舞いに来てくれた友達にそのことを話したら
「ななこ、何チェックしてるの~!?」って笑われてしまった。

そのT先生がしばらくして採血にきた。
まだ新人なのか、ちょっと手つきがぎこちなくてドキドキした。
内心(頼む、一発で刺してくれよ~。)と祈っていると
先生が私の右腕に針を刺すのに
かなり緊張している様子が伝わってきて
心臓がバクバクしてしまったけど
結果的には、一発で終わらせてくれたので助かった。

採血終了後は、手術や術後に使う「消毒薬」や
「抗生剤」にアレルギー反応が出ないかのテスト。
これも腕に2本の注射。ちょっと痛かった。

その後もガーゼを留めるときのテープでも
アレルギー反応が出ないか、のテストだとか
この日はずっと検査やテスト続きでした。
そんなに大変なものではなかったけれど。

18時の夕食をとったあとは
執刀医のM先生が病室まで来て
手術当日、切除する部分を確認がてら
黒のマジックで「マーキング」をされることに。

超音波室まで出向いて、そこでエコーをあてつつ
乳房にどんどんマーキングが入る。
私の場合、あとからわかったことなのですが
しこりがなんと、病巣部に2つありました。
これは触診とエコーだけではわからず
MRIでわかったのです。
なので、マーキングは意外にも広範囲となり
先生が帰ったあとに自分でもう一度見てみたら
「えっ。当日はこんなに切るの?」と思うくらいでした。

あと2日で、このマーキングされた部分は切除される。
不思議な気がした。
今ある自分の体の一部がなくなってしまうのだから。

November 15, 2004

いよいよです

入院が明日に迫ってきました。
今日は1日、入院の準備をしたり、必要なものを買いに行ったり
部屋の掃除もしたりして、慌しく時間が過ぎていきました。

ここを読んでくださっているみなさんのコメントに励まされたり
また、Teddyで知り合ったみなさんからもたくさんのメールをいただき
とても心強いです。

入院中は読書に没頭しようと
きのうと今日で大量の本を仕入れました。
図書館でまとめて数冊借りたり
それでも足りない分は、書店で購入しました。

部屋は大部屋が空かなかったので
2人部屋に決まりました。
果たしてどんな方と同室になるのか
今からドキドキしています。

病気がわかってから、約3週間。
落ち込んだり、泣いたりもしましたが
家族や友達、そして何だかんだ言いつつも
「彼」の存在にとても助けられています。

この間、ちょっと衝突したと書きましたが
その後また仲直り(?)して
おとといは、お台場デートしてきました。
これにはいろいろといきさつがあるので
そのあたりのことを、一番書きたかったのですが
今はそれだけの余裕がないので
そのことはまた時間があるときにでも
書きたいと思っています。

いつもコメントを書き込みしてくださっているみなさん、
レスが追いつかずにすみません。
でもちゃんと読んでいます。

ブログへの書き込みは、おそらく退院後になりますが
可能であればメール・チェックや
こちらのサイトもチェックしますので
これからもよろしくお願いします。

November 12, 2004

最終出勤日

短大を卒業して以来、正社員として約12年間働き続けてきた職場。
もともと接客業に就きたいと思っていたので
内定をもらえたときは本当に嬉しかったです。

しかし外側からは華やかに見える職場も
実際は、リストラによる人減らしや、サービス残業の増加、
また人間関係に悩まされて辞めていく人も多く
入社当時100人だった私の同期も、今は残り10人を切ってしまいました。

私も、いろいろと思うところがあり、今までに何度もこの会社を辞めようと考え
水面下で転職活動を行ったことも数知れず。
今年のはじめにも数社受けて、採用試験の途中まで進んだこともありましたが
内定を得ることまではできず、また気持ちを入れ替えて今の職場で頑張ってきました。

さきほど人間関係に悩まされて辞めていく人もいる・・・と書きましたが
私の場合は、入社当時こそきつい先輩に悩まされましたが
その後は、年を追うごとに人間関係に恵まれていくようになりました。

それでも、後から入ってきた後輩も、入社して2年くらいで辞める人も多く
仕事を教えても教えても、あとが続かない、というジレンマがありました。

けれどここ3年以内くらいに入社してきた後輩は
人間的な魅力に溢れ、心が優しく、英語も自由に操れる優秀な人が多く
一緒に仕事をするのが楽しい人たちばかりでした。

病気のことがわかったとき、同じ部署の人にだけは事実を話しました。
そして1~2年同じ部署で仕事したけど
今は別の部署へ異動した後輩(でも仕事上のつながりは深い)や
他の人たちには、病気になったことも、これから半年くらいの休職に入ることも
最後まで隠し続けました。

でもいくら隠したとしても、さすがに最終日ともなると
いろいろな人に、しばらく休職することが伝わっていました。

仕事上つながりがある、マネージャー職の先輩は、いきなり私のところに来て
「ななこ・・・聞いたよ、退職するんだって?」と。
「違いますよ、退職じゃなくて、休職ですよ。」と言うと
「あ、そうだったの!?」と(^^;
「元気になって、戻っておいで」と握手されてしまった。

病気(病名)のことも知ってるのかと思ったけど
さすがにそれは、周囲に堅く口止めしておいたせいか
今のところ大丈夫みたい。

他の人にも「噂には聞いていたけど、本当に休職しちゃうんだね。」
「そんなに元気そうなのに、どこがお悪いの?」
人によっては「あの・・・もしかして、おめでた?」と聞いてきた人もいました。
私は未婚だってば☆

また「もし差し支えなければ、どこを切るのか教えてもらってもいい?」
と年の近いある男性社員に聞かれたけれど
さすがにそれは「ごめんなさい、それはちょっと・・・」と
言葉を濁してしまいました。

入社以来、半年に1回、ずっと会社の健康診断を受けてきました。
レントゲン、血液検査、尿検査、聴力、視力検査などなど
今まで一度も引っかかったことがなく
今回も、10月に受けた健康診断の結果が2日前に戻ってきましたが
結果は「総合A」。マンモが組み込まれていなければ
会社の健康診断レベルでは引っかからないのかもね。
病気が見つかったのは悲しいけれど
自己触診で見つけることができたのは不幸中の幸いでした。

不規則な仕事なので、周りの人たちは「尿蛋白で引っかかったー」
だとか、同じ部署の後輩は「うそっ。『肺に影があります。3ヵ月後に要検査』
って書いてある。たばこが原因かな~(泣)」などなど
けっこう引っかかってる人もいました。

退職するわけではなく、休職だからか「万感胸に迫るものがある」とか
そういう感覚はなく、仕事は全く普通どおりにこなし
自分のロッカーだとか、身の回りをきれいにして片づけをすませて
同じ部署の上司、後輩たちに挨拶をしました。(先輩はこの日休みでした。)

また、別の部署ですが、1人仲の良い60代の女性がいたので
その人にも「実はちょっと体調を崩したので、明日から約半年間くらい
休職に入ります。」と伝えたところ「えっ!どうしたの?どこか悪いの?」と。

話の成り行き上、言わないわけにもいかなくなったので
「乳房を手術するんです」と言ったら「乳がん?」と。
私がコクンと頷くと「私には2人の妹がいるんだけど
2人とも乳がんの手術をしているのよ。
1人は数年前に全摘していて、もう1人は3ヶ月前に部分切除したばかり。
2人ともピンピンしているし、ななこさんもあまり深刻にならないでね。」
と言われてびっくりしました。乳がんの人は意外と多いのだろうか。

ここのブログにも何度か登場した、上司である「部長」に挨拶をしに行ったら
なんと「実は、僕も今月いっぱいで辞めることになった」と言われてびっくり!
さらに「○○課の□□□マネージャーも、同じ時期に辞めることになったよ」と
言われてびっくりしました。

部長も□□□マネージャーも、50歳になるかならないか。
退職の理由は2人とも「考えるところがあって」とのこと。
次の職場を見つけてからの転職ではないそうです。

私は休職を選び、周りから見たら会社にしがみついているように
見えるかもしれないけれど、この上司2人は、うちの会社に
どうしても我慢できないことがあったのでしょう。
この業界自体から、身を引くそうです。

部長からは「ななこ君が帰ってくるときに僕はいないけど
あとのことはちゃんと引き継いでおくから、安心していていいんだよ。
そして必ず戻っておいで」
そう言うと、部長もまた握手を求めてきたので、しっかり握手しました。

部長に挨拶をしていたとき、ちょうど近くを社長が通りかかりました。
「社長にも挨拶をしておこうか。」と言われ、社長のそばまで行くと
「ななこ君、病気のことはちらっと聞いたよ。」と社長。

そして社長は「ちょっとこっちへ」と他の人には話が聞こえないように
私をロビーの端のほうまで連れ出しました。
「ななこ君、今が精神的にも一番きついときだと思うけれど
乳がんは昔と比べたら、だいぶ治りやすい病気になってきたんだよ。
実はこれは、会社の誰にも言ってないことなんだけど
私の妻も、先月乳がんの手術をしたばっかりでね。」
思わず「えっ!社長の奥様もですか!!!」
「君もこれからの治療のこととか、いろいろもうお医者さんから
聞いていると思うけど、あまりあれこれ考えずにお医者様を信じて
治ることを考えていこう。妻は部分切除だったので
これから、化学療法をやるんだよ。
手術が終わってみて、本人もホッとしているところでね。
ななこ君も、気をしっかりもって、病気の治療に専念しなさい。
君のポストは、私が責任をもってそのまま空けておくから
安心してゆっくり休みなさい。」と言っていただきました。

辞めたい辞めたいと言いつつも
(今まで真面目に働いてきてよかった~)と思った瞬間でした。

就業時間が終わり、直属の上司である課長と後輩にもう一度挨拶。
課長は「ななこに半年も会えなくなるのか~。寂しくなるな~。」と。
ホロリときそうになったけど「お世話になりました。また戻ってくるつもりです。
そのときはよろしくお願いします。」とお辞儀をして、職場を後にしました。

November 11, 2004

第2の父親のような叔父さんに私の病名を告げたとき(2)

JR○○駅前で、中野の叔父さんと合流した。

おじさんは嬉しそうな顔で「ななこ!久しぶり!」と
「Give me five」で手をパッチーン!と合わせてきました。
「Give me five」というのは、よくアメリカ映画とか見てると見かけますが
叔父さんは別に映画を見る人ではないので
なんでそういう風にしてくるのかは、不明(笑)

3人でパスタのお店に入りました。
すると叔父さんはキョロキョロしながら「こういう店に入るのは初めてだぞ!」
と言いながら何だか落ち着かない様子。

でもパスタは好きなんだって。
「ここは男が来る店じゃないな~。女性同士に人気がありそうだ。」
と言うので周りを見渡すと、ほとんどが女性客で、
あとは窓際に1人で座ってる男性客がいましたが
「あれは特殊だな」と言い切る叔父さん。

この叔父さん、ギャンブル好きで
競馬、パチンコ、競輪、何でもござれ。でも会社員もしています。
妹は一時期叔父さん夫婦の家の1室に住まわせてもらっていたことがあり
「叔父さん、また『すったり』してないでしょうね~」と言うと
「俺も最近は、控えめにしかやらないし、プラスになったところでやめるから
損はしてないんだよ」とのこと。

そして「昔はよく、まる子(叔父さんの妻。母の妹。もちろん仮名です)と一緒に
競馬場の入り口で、デートの待ち合わせしたものだ」と言うので
私が「えーっ!デートで競馬場とか行ったの???」と言うと
「まる子は田舎から出てきたばっかりだったから
都会のことは何でも珍しくて、競馬場だろうと、競輪場だろうと
何でも嬉しくて一緒に行ったもんだ。
ま、俺と一緒にいられるのが一番嬉しかったみたいだけどな。」と
思いっきりノロケられた(^^;
叔父さん夫婦は、未だに親戚の中でもラブラブで有名である。

私が「そういえば叔父さん!今思い出したんだけど
私が子供の頃に、叔父さん夫婦に叔父さんの田舎に連れて行って
もらったでしょう。確かそのときにもパチンコ屋に連れて行かれて
私は入り口で『ロボコン』の超合金のおもちゃの景品がほしくて
叔父さんに『ななこ、これが欲しい!叔父さん、パチンコで(勝って)とって!』
って言ったら『ななこ、欲しいものは自分で取りなさい』って言われて
私までパチンコ屋で、玉をバンバン出して、自分でロボコンを取った覚えがある!」
と言ったら、叔父さんが「うわー、子供になんてことさせてしまったんだ!」
と相当動揺していました。(しかし、何でロボコンなんて欲しかったんだろう?>私)

ばか話をして、ちょっと間ができたところで
おじさんが「それで、話って・・・?」。

妹  「今日は急に呼び出しちゃってごめんね。
    いい話ならよかったんだけど・・・。叔父さん驚かないで聞いてね。」
おじ 「うん、大丈夫だよ」
妹  「じゃあ、姉さん、自分で言ったほうがいいよね?」
私  「叔父さん、私ね、私・・・」

叔父さんが私をまっすぐに見つめているので、言うのをためらってしまった。

私  「私・・・う・・・。(嗚咽)」 言うつもりが言葉にならなくなってしまった。

妹  「あー、泣いちゃった。仕方ないね。
    今まで泣かなかったのにね。
    ・・・叔父さん、ななこ姉さん、がんなの。」

叔父さんは一瞬目を見開き、表情が大きくゆがんだかと思うと
下を向いてしまった。そしてすぐに顔を上げると

おじ 「がんって、どうして・・・。どこが悪いんだ?」
私  「乳がんなの。10月末に病院へ行ったら、そこで告知された。」
おじ 「そんなすぐにその場で言うものなのか」
妹  「他の部位のがんと違って、乳がんは告知されるのが普通なの。
    しかも、ななこ姉さんは、自分で最初から『乳がんかもしれないので
    診て下さい』だとか『両親ともにがんをやっているので、もしかしたら
    自分たちもその可能性が高いので、心配で今日はきました』とか言って
    お医者さんも、この人なら今いきなり告知しても大丈夫と
    判断して、一人で行ってるのに告知したんだと思う。
    姉さん、一見気丈で精神的にも強い人に見えるからね。」
おじ 「ななこ、大丈夫だ。俺だって、前に肝臓をやられて一時期は
    医者から『もう危ない』とまで言われたけど、今は元気だろう。
    あのときの病気の原因はなんだったのかわからないけど
   病は気からだと思うよ。気持ちをしっかりもって、治療すれば
   道は開けてくるんだから。」
妹  「ななこ姉さん、最初の頃、ネットで調べたり本を読んだりして
   先のこと考えすぎて、具合が悪くなっちゃったんだよ。」
おじ 「まずは手術だな。本とかは読みすぎないほうがいいぞ。
   おまえは医者じゃないんだから。
   知識をつめこみすぎても、かえってつらくなったりするし
   俺の周りでも、何人か乳がんをやった人がいるけど
   そのあと結婚して、子供産んだ人もいるんだから
   今は先のことは考えすぎずに、目先のことを考えろ。
   くよくよしないで、楽しいことを考えな。」


妹が、叔父さんに輸血のことを話すと
「まる子なら、いくら血をとっても大丈夫!」と言ったので
妹が「いくらとってもいいと言ったって、一度にとれるのは400までだから(^^;
でも、ありがとう。叔母さんには改めて、私からも連絡するから。」

病気のことを話したときは、ちょっとだけ泣いてしまったけれど
その後は、おじさん本来の明るい性格に引き込まれてしまい
最後はゲラゲラと大笑いしながら、別れました。

第2の父親のような叔父さんに私の病名を告げたとき(1)

先日の大学病院を受診した帰り道(先生から手術の説明を受けた日)、
不覚にも精神的にかなりナーバスになってしまった。

手術のときのやり方など、具体的な話を聞いているうちに
現実感がのしかかって来たのと
医学的な話を聞いているうちに、気持ち悪くなってしまったからみたい。

この日の帰り道は、妹と一緒に夕食をとってから別れようと思っていたら
妹が「中野の叔父さんたちには話したの?」と。

中野の叔父さんたちというのは、私の母の妹夫婦のことです。
中野に住んでいるので、私たちは昔から「中野の叔父さん」と呼んでいました。

子供がいないこともあって、母に子供(つまり私と妹)が生まれたときから
とても可愛がってくれていて、特に叔父さんは、長女である私を
昔から「人一倍好きみたいよ。いつも『ななこは可愛い』って言ってる。」
と叔母さんから聞かされていました。
一応お断りしておきますと、叔父さんが言う「可愛い」は顔がかわいいとか
そういうことではなくて、父親の娘に対する愛情みたいなものみたいのようです。

以前、私が盲腸になったとき、両親がそのことを「盲腸ぐらいでわざわざ親戚に
言うこともない」ということで、叔父さん夫婦に言わなかったら
後になって「えっ、盲腸で入院してたの?なんで言わなかったの、水くさい!」
とすごい勢いで言われたことがあり、以降、うちの家族の間では
他の人には言わなくても、叔父さん夫婦にはやっぱり言っておかないと
まずいよね、という話になっていたのでした。

叔父さんは、私の妹や、従姉妹(母にはもう1人妹がいるのですが
その妹の子供)をよく食事に連れて行っているようで
私にも「ななこも、たまには一緒に来ればいいのに!」と
会いたい度をアピールしてくれていましたが
今までの私は、言い訳をつけては、誘いを断っていました。
妹と従姉妹からすら「ななこ姉さんは、友達とはよく出かけるのに
親戚づきあいが悪いよ(笑)」と冗談まじりに言われていたくらいでした。

話が少し飛びましたが、病院帰りに私が精神的に参っているのを見て
妹が「中野の叔父さん、会社帰りならここと結構近いところにいるから
今日ちょっと呼び出して、病気のこと話そうか?」と言ってきました。

叔父さんは、私の両親とはまた全然違って、ものすごく明るい人。
こう書くと、うちの両親がすごくおとなしそうな印象になってしまうとけれど
叔父さんが人一倍明るいので、周りが押されてしまうのです。

けれど私が「滅多に会わないのに、今急に呼び出したら、叔父さんすごく
喜んじゃうよ。それでたまに会ったと思ったら『私、がんになっちゃって・・・』
って言うの?酷過ぎるよ。どんなにがっかりするか・・・。言いたくないよ。」
でも妹は「正月になったら、叔父さんたち、毎年うちに来るでしょう。
そのとき、姉さんは次の治療が始まって、たぶん一番大変な時期でしょう。
かつら姿のななこ姉さんをいきなり見たら、そっちのほうがもっとショックだと思うよ。」

「そうだけど・・・・・・。
うん、そうだよね。もう入院も間近だし、言わないとね。」
「あとさ、ななこ姉さん、輸血の問題があるの。」
「え、輸血?」
「この間、ななこ姉さんが会社に行ってる間に、病院から電話があって
手術当日、献血してくれる人を病院に待機させておいてって、お母さんが言われたんだって。」

輸血は、何かあったときのための一種の「保険」らしいのですが
うちは両親共「がん経験者」のため、両親からは血液をもらえないのです。

なので妹としては、妹本人と、叔父さんの妻である叔母さんに
輸血のお願いをしようと思っていたようです。

幸い、会社帰りの叔父さんは、私たちの病院とさほど離れていないところにいて
すぐに捕まったので、待ち合わせ場所は、中間地点をとって
JRの某駅前にしました。

妹が叔父さんに電話したとき「あ、おじさん?今日暇?今ななこ姉さんも一緒なんだけど」と言うと
叔父さんは「おー、ななこが一緒なんて珍しいな!」と大喜びだったらしい。
それで「あのね、おじさん、実は今病院帰りなの。今日はいい話じゃないんだけど
叔父さんに話しておかないといけないことがあるから、今からちょっと会えるかな?」
と言ったら、叔父さんは驚いていたようだけれども、妹いわく「病院と言った時点では
まさかななこ姉さんのことだとは思ってないと思う。きっとうちの両親がまた何か
病気が見つかったのかと思ってる風だった。」と聞いて、(これからおじさんに
一体どれだけのショックを与えてしまうのか)と思ったら、また気が滅入ってきた。


November 10, 2004

術前の打ち合わせ

今日は午後から妹にも付き添ってもらい、大学病院へ行ってきました。
いつ行ってもとても混んでる・・・。

今日から、先日までの若い男性医師から、手術当日の執刀と
今後長い付き合いになると思われる女性医師に代わりました。

一見ものすごく地味で(顔もすっぴんだったし)、とても外科医には見えないんだけど
妹にそれを言ったら「あのね~、あれでメイク完璧だったら
逆にあまり外科医っぽくないと思うんだけど・・・。
でも私が前に働いていた大学病院には、女性の外科医自体が少なかったよ。
あの先生、ここの大学病院の外科医やってるくらいだから
ものすごい切れ者だと思うよ。」とのこと。

案の定、実際診察室に入ったら、病状のことや手術方針などを
包み隠さず話してくれました。
私に告知をした、男性医師も、告知をしたくらいだから
けっこうサバサバとした感じで私に説明をしてくれたけれど
今回の女性医師は、その男性医師の先輩にあたるだけあって
余計にシャキシャキした感じ。

昨日撮ったばかりのMRIの画像を先生に手渡すと
先生は、それを1枚1枚丹念に見ながら
ゆっくりと、あのレントゲン写真を貼る白いボード(?)みたいなものに
私のMRI写真を、ペタペタ貼っていきました。

まずは、手術をして、化学療法や放射線治療をしたとしても
再発や転移の可能性がどうしてもゼロとは
言えない・・・ということから話が始まりました。
「ただ、乳がんは他のがんに比べると、手術や術後の治療で
治る可能性が高いし、化学療法も感受性が強いので効きやすいの。
それに手術のときは、病巣部は見える範囲だけではなく、
プラスアルファーで『安全圏』といえるところまで取ります。
それでもあなたの場合は、35歳以下という若さなので
それだけでも、他の人よりも転移の危険性がハイリスクなの。
手術で悪いところは全部取ったかに見えても、数年後、
早ければもっと早い時期に、再発したり転移することもあります。
この病気の場合、どうしても100%治るということは言えないのです。
まずそのことを知っておいてもらった上で、このあと手術のことを
話していきましょう。」

それを聞いた途端(自分でもわかってはいたのだけれど)
一気に冷や汗がサーッと出てきて、何度もハンカチで額の汗を拭きました。

「今画像を見させてもらったけど、あなたの場合は部分切除でも
まだいける範囲です。その場合はこうやって、乳房の4分の1を
切除します。」
「え、4分の1ですか!? 私はもっといっぱい切るのかと思っていました。」
「例えて言えば、ホールケーキを思い出してもらえればわかりやすいんだけど
乳房がホールケーキだとしたら、そのうちの4分の1を、そのまま
カット・ケーキみたいな形に切り取って、内側はリンパのあたりまで
メスを入れて、縫うような形になります。
つまり、乳房の裏側のほとんどにメスが入るんだけど
表から見ると、傷は1本だけなのよ。」
「えっ!!! 傷は1本!!!! もっと大きな傷が何本も残るのかと思っていました。」
「ただ、乳房の大きい人になればなるほど、別のリスクがあってね。
切り傷のところに、術後しばらくは、リンパ液というのが
たまりやすくなってくるの。リンパ液ってわかるかしら?
手を切ったりすると、血の他にもう1つ、透明な液が出てくるでしょ。
あれがね、胸のところにたまってきちゃうから、1週間に1度くらいは
注射して抜かなくちゃならないの。」

そんな説明は今初めて聞かされたので、私は頭がクラクラしてきました。
「あの、たまったリンパ液を抜くって・・・どうやって抜くんですか?
傷口に直接注射針を刺すんですか???」
「それが・・・傷口に刺すんだけど、痛くはないのよ。」
「???」(私が「なぜ?」という顔をしたところ)
「左乳房には神経が通わなくなるから、針を刺しても何も感じなくなるの。
感覚がないから、針を刺されている、ということで気持ち悪くなったり
するかもしれないけど、その感覚のなくなるところが、この手術の
後遺症といえば後遺症に当たるのね。」

なんだかますますクラクラとしてきた。
部分切除だからって、全体的に皮膚の感覚がなくなるとは
本当に知らなかった。ひえ~、そうだったんだ・・・。

この時点で、私はけっこう冷や汗タラタラになってしまい
先生や妹に「大丈夫?気持ち悪くなっちゃった?」と聞かれたのですが
気にせず、話を続けてもらいました。

「それと・・・。手術前には『部分切除で大丈夫だろう』という判断のもとに
手術を開始しても、切った時点で『これは全摘しないとまずい』というケースが
たまにあります。もし術中にそのことがわかった場合でも、すぐさまその場で
全摘するかどうかは、事前にななこさんの了承を取っておかない限りは
勝手に全摘に切り替えることはできません。
ただもしも、部分切除だけでは取りきれそうにもない場合は
術中に全摘に切り替えてもよいかどうか、というのを入院当日に聞きますので
そのときまでに考えておいてください。
部分切除で済んだ人でも、術後1ヶ月間はその切り取った病巣を
徹底的に調べて、本当にこのまま部分切除のままで大丈夫かを調べます。
ここでも、約1ヵ月後『やはり取りきれていなかったので、再手術をすすめます』
という結果になる人もいます」と言われたので、私が「再手術というのは
全摘のことですよね?」と聞いたら「そうです。」と。

人によっては、術中にもしも「部分切除だけではだめだ!全摘に切り替えよう!」
という判断を医師たちがしても、患者本人の気持ちがついていかないので
とりあえず、最初は部分切除だけ終わらせて、術後の細胞診の検査で
「これはやはり全摘をすすめます」という決定打が出てから
部分切除の約1ヵ月後に、全摘手術をする人もいるそうです。
でも私の場合、もし実際に切ってみて、医師たちが「これは全摘しなければ」
という判断をしたならば、1ヶ月待たずに、その場で全摘に切り替えてもらうよう
入院時の手術同意書にサインしようと思っています。
1ヵ月後にまた手術なんて、ちょっとたまらない感じがするから・・・。

私の手術は、11月18日(木)、9:00a.m.に開始の予定。
2日前の16日(火)の10:00a.m.に入院します。

November 09, 2004

MRIの撮影

今日はまたさらに一段と、胸がパンパンである。
病気のせいではなくてPMSのせいだと思うんだけど
触れるのも痛いくらいでした。

さて予定通り、午後からMRIをやるために都内まで出向きました。
途中、私鉄からJRへ乗り換えるときに、交差点で待っていたときのこと。

ちょっと怪しい系の30歳前後の男の人が近づいてきて
「新潟県中越地震の方へ、募金をお願いしま~す」と
私の目の前にピタッ!と張りつきました。

(他にも人はいっぱいるのに
なんでこの人、こんなに私に密着してくるわけ?)と思い
その人の持っている募金箱をチラッと見たけど
(これって、本当にその地域の人たちに届くのかしら?)と疑念が沸いてきました。

私が固まりつつも「すみません・・・」と言ってちょっと場所を移動したのに
なぜか一緒にくっついて来て「お願いします、お願いしまーす!」とさらに連呼。
そして募金箱を私の目の前にグッと差し出してきて
いかにも「早くここにお金を入れろ!」っていう態度が頭にきて
そのうえ「だめですか~?ちょっとでいいんですよ~。
この地域の方々、大変なんですよ~。お願いしますよ~。」とあまりにしつこくて、
思わず「ブチッ!(怒)」ときたので
「私も来週がんの手術なんですよ・・・」と一言言ったところ
今度はその人が一瞬固まって、逃げるように去っていきました。
ふと見ると、周りで信号が変わるのを待っていた他の人たちも
私のことを一瞬変な表情で見ていたけど・・・☆ま、そりゃそうだわな。

そこまで言わなくてもよかったんだろうし、本当の募金運動だったのかもしれないけど
その彼の態度は、私に不信感を与えるのには充分でした。
それでなくとも、その駅の周辺は「あなたの手相を見せてください」の類の
宗教系?の勧誘が多いことも知られているので
あれが本物の募金箱ではなかった可能性も高いかもね。

その後、気を取り直してMRIを撮ってくれる専門の病院へ。
四ツ谷にある病院で入り口に「がん画像なんとか専門」とありました。

中に入ると、専属の看護婦さんが付いてくれて
MRIを撮り終わるまで、ずっと付き添ってくれます。
待合室はホテルみたいにきれいで、私以外には二組の患者さんがいて
(あれ?家族の付き添いいないの私だけ?)と思いました。
私は1人で行ったけど、あとの二組は家族が付き添ってきていました。

待合室から女子更衣室へ通されると
そこで検査着に着替えました。
診察室でお医者様からいくつか質問を受けたあと
MRIの撮影室へ・・・。
MRIを撮るのは今回が初めてではないけど
造影剤の投与は今回が初めて。

看護婦さんから「検診で見つかったのですか?」と聞かれたので
「自分で見つけました」と言うと「そうでしたか。」と。
「私、自分の体でおかしいところがあると、昔からすぐ病院へ行く方だったので。」
と言うと「いいことですね。自分では気が付かない人も多いんですよ。」という返事。

今回のMRIは病巣を集中的に撮るため、全体で30~40分撮るとのことで
その間、造影剤は点滴での投与だったらしくて
撮影中は左手首に針を刺しっぱなしでした。
その最中は平気だったけれど、家に帰ってきたらその刺したあとが痛い☆

MRI撮影室へ入ると、なんだかぎょうぎょうしい機械が置いてあり
私の場合は、胸をとるわけだから、乳房の形に沿って空いている穴の中に
胸を入れるのですが、そのときはもちろん検査着を脱ぎます。
MRIを撮影する50歳くらいの男性技師、さきほどの看護婦さん、
そして助手らしく、私と同年代くらいの女性。
半裸になった私の胸に、3人の視線が集中するのがわかりました。
すぐにうつぶせになって、その穴の中に胸を入れて(変な表現ですね^^;)
その後「ウイーン、ウイーン」といううるさい音のする機械の中へ・・・。
最初はその音がうるさいなぁと思っていたけれど
終了間際には、私はウトウトしていたようです。

明日は大学病院へ行って、主治医の先生に今日のMRIの写真を見せます。
本来は、MRIを撮った病院から、かかりつけの病院の担当医へ送るようですが
私の場合は、明日そのかかりつけの病院へ行くわけなので
郵送だと間に合わないので、その場で手渡されました。

幸い、その写真には封がされていなかったので
家に帰ってきてから、自分でも見てみました。
すると明らかに、病巣部は真っ白に写っています。
専門的っぽい写真が全部で10枚近く入っていて
その1枚1枚には、病巣部の細胞みたいな写真から何から
いっぱい撮られています。

「はは~ん、ここが悪いわけね。」と口に出して言いつつも
こう画像にはっきりと写っていると、ますます現実感が押し寄せてきます。

私のしこりは、乳頭から6センチ離れたところにあります。
明日「切り方」が決まります。

November 08, 2004

休職中にやりたいこと

PMSのせいか、今日は胸がパンパン。
毎月のことながら、この時期は妙に感情的になるわ
胸は張るわ、涙もろくなるわでもう大変。
あ、でも今日は泣いてないですよ。

あまり暗い話ばかり書いてもあれなので
たまには明るい話も書いてみましょう。

私は社会人大学に在籍していて、残り数本のレポートと
あとは卒論が残っています。(これが一番問題だな^^;)
今までなかなかまとまった時間がとれなくて
卒業が先延ばしになっていたのですが
術後、約半年ちょっとの休職期間があるので
その期間は卒論執筆に励もうと思っています。
副作用も心配だけど、卒業できないのはもっと心配だから!

先月、その社会人大学の単位習得試験で
英語を受験して、結果がかなり心配だったのですが
きのうその結果が届いていて、合格していました!
もし今回その試験に落ちていたら、年明けくらいにもう一度
再受験しなければなりませんでしたが
その必要もなくなったので、助かりました。

職場では、仕事の引継ぎをほぼ完了させて
自分の身の回りの荷物はある程度まとめて、今日持って帰ってきました。
私は普段から荷物が多い人なので、仕事用の資料も山積みなのですが
いらないものはだいぶ捨ててきたので、最終日は荷物も少なくてすみそうです。

後輩から譲ってもらった「AHCC」(→栄養補助食品)は毎日3袋ほど飲んでいます。
私は今までサプリメントとかは摂ったことがなかったのですが
AHCCは粉末状だけど飲みやすいし、お通じがよくなった気がします。
早くも体にいい効果が表れてきたのかなぁ???
入院中、治療中にも飲みたいと思ったので
後輩に「買いたいんだけど~」と伝えて今取り寄せてもらっている最中です。

それにしても、今回つくづく思ったのは
正社員を続けていてよかったなぁということです。

今までサービス残業とか、人手不足による一人当たりの負担が
ものすごく多い仕事を任されていたので
常にストレスにさらされていて(もう辞めたい。)と思っていましたが
正社員でいたからこそ、今回のような事態になったときに
生活がいきなり揺らぐ・・・というのがありませんでした。

また、総務や人事の担当者がすぐに動いてくれて
私傷疾病休暇のための手続き方法や
休職に入るまでの流れも、わかりやすく説明してくれて大助かり。
医療費の領収書も、すべてとっておいて、あとで総務に提出すれば
高額医療費が戻ってくるための手続きも、すべて総務の担当者がやってくれるそうです。
もちろん、自分でできることは自分でするつもりだけれども
今回は会社のありがたみがわかった気がします。

今週は、気持ちは上向きではあったけれど
やはり会社では(表面的には)普通に過ごしているうちに
意外と疲れが出ていることに気が付きました。

明日の朝は目覚まし時計は使わずに(午後の検査に備えて)
久々にたっぷり寝ようと思っています。

November 07, 2004

会社に行くのもあと3日

仕事をしていると、今までと何ら変わりない気がしてきます。
でもふとしたときに(もうすぐ手術だ~。)ということを思い出します。

よく、こういう病気になった人は「私が一体何をしたの?」と思うようですが
(というか私も最初はそう思いましたが)
ネットや本で調べていくうちに、私のライフ・スタイルや食生活、
そしてストレスをためやすい体質なので
そのことが少なからず原因なのではないかと思っています。

まず「ライフ・スタイル」。
仕事がサービス(接客)業で、勤務時間も不規則だからか
食事する時間も深夜近かったり、次の日は昼からの勤務だからと
前の日は深夜まで起きていたり。

次に「食生活」。
どちらかというと、肉食です。
魚ももちろん食べるけど、例えば外食しに行ったときは
まず自分で魚を選ぶことはなく、メニューに肉料理と魚料理があったら
肉料理を選ぶほうでした。
野菜もバランスよく食べるようにはしていたけれど
他の人に比べたら、摂取が少なかったかもしれません。

そして「ストレス」。
友達と会って愚痴を言い合ったり
おいしいものを食べに行って、おしゃべりして、自分ではうまくストレスを
発散させているつもりではいたけれど、元々人に何か嫌なことをされたら
なかなか忘れられないというか、覚えているほうなので
そういうのが良くなかったのかな~と思ったりしています。

思えば、入社以来働いている今の職場は
人の入れ替わりが激しく、また自分自身が今の仕事に対して
随分長い間(この仕事が自分に向いているとは思えないけど
このままずっと続けていていいのだろうか?)と悩んでいたので
自分の中でもやもやしていたものが、病気という形で爆発したのかなと
思ったりもしてます。

でも一番の原因は「病は気から」なのかもしれません。
まさかこの年で病気が発覚するとは夢にも思わなかったけれど
(いつかなるかもしれない)という危惧に近い思いは
常に頭の片隅にありました。

これから本格的な治療に入るわけですが
「大丈夫、よくなる!」と自分に思い込ませながら(!?)
入院生活に入ろうと思っています。

会社は、あと明日(8日)と、11日、12日と出社したら休職する予定です。
明日、職場の課長に言わなくちゃ・・・。

9日はMRIで病巣の再チェック。
これで病巣が今どのくらい広がっているのか、ほぼわかるそうです。
10日は、残りの術前検査(造影剤投与後、骨シンチの検査)、
その後は執刀医の先生とお会いして、手術のときにどういう風に切除するか、
とかそういう話を聞きに行きます。

入院日はまだ未定ですが(たぶん、手術の前日か前々日のようです)
それまで3~4日あるので、自分の部屋の中をきれいに片付けようと思います。
これから長い闘いが始まるので。(今はけっこう散らかっている・・・^^;)

November 02, 2004

周りの反応(2)

~習い事2(書道)の先生~

もともと子供の頃から高校受験直前まで習字を習っていたことと
高校・短大でも書道の授業を取り続けていたこともあって
社会人になってからも、いつか書道を再開しようとは思っていました。

けれど書道のような日本の伝統的な世界では
どの師匠につくかで、実はその後の運命がある程度決まってしまうこともあり
実際、書道を再開するにあたって、ネットや本で調べたりして
今の先生(=師匠・40代後半~50代前半?女性)に行き当たるまで、けっこう時間を費やしました。

現在私がお世話になっている先生は、日本の書道界において
とても有名な師匠のお弟子さんにあたり
そのお弟子さんに習っている私は「孫弟子」にあたるのだそうです。

書道は今年の7月に再開したばかりですが
この3ヶ月間で、8級→6級→そして8月に行われた昇級・昇段試験の結果
現在3級まできていたので、この調子でいったら年内には「段」までいけるかな?
と思っていた矢先の、今回の出来事でした。
以前、別の書道団体に所属していたときに、すでに8段まで持っていたのですが
その後また今所属している団体に移ったときに
先生から「以前段を持っていたとは思うけれど、この団体ではまた新規で8級から
スタートすることになるのでよろしく。」と言われ、それならば気持ちを入れ替えて
新しい気持ちで、また1から始めようと思っていました。

これからずっとお世話になりたい先生ではあるけれど
果たして、まだ付き合いが3ヶ月くらいと浅い関係で
私の病気のことを告げて、しばらく書道から離れるであろうことを伝えるのは
かなり悩みました。けれどこの3ヶ月間で、先生が人との付き合いをとても大事に
考えている方であることはとても痛感していたし、うやむやな理由を伝えて
(あんなに書道をやりたくて、習うのを始めたのに、もう飽きてしまったのかしら)
と思われるほうがよっぽどつらいので、意を決して事情を伝えることにしました。

ピアノの先生は、私の家から徒歩10分も離れていないこともあって
直接お会いしたときに話したのですが
書道の先生は、うちから遠いのと、やはり告知直後でとても字を書く気にならず
気持ちが沈んでいたこともあったので、失礼かと思いながらも
メールで事情を伝えました。

そのときに「書道をやめるつもりは全然ないこと」
「これから半年ちょっと、通うことはできないけれど、もし可能であれば
入院までの期間、郵送による通信指導を受けていただけないでしょうか」ということと
「治療が落ち着いたら、また必ず『通って習うこと』を復帰したいこと」を伝えました。

病名はあえて伝えなかったけれど
先生は私のメールから、ただならぬ雰囲気を感じ取ったのでしょう。
「ななこさん、辛いお話なのに、話してくださってどうもありがとう。
大変な病気になられたようにお見受けします。
大きなショックを受けている様子が目に浮かぶようで・・・。
手術して、養生して治るのであれば・・・。
命あってのものだね、というように
生きていれば必ず良いことにもめぐり合えるはずです。
今はどんな慰めの言葉も届かないかもしれませんが
私はななこさんが、元気な姿を見せてくれるまで待ちますから。
妹さんが看護婦さんで、力強い味方がいるのですから
どうかがんばってください。
私にできることがあれば、何でもします。
いつでも連絡ください。」

・・・私は病気を周りの人に伝えるとき
(言ったら同情されるんじゃないだろうか。)
(病気であることを告げることによって、この人は離れていってしまうのでは
ないだろうか?)
また、相手に伝えることによって、相手にも(気持ちの面で)負担を負わせて
しまうのではないだろうか・・・とかいろいろ考えました。

でも意外にも、周りから返ってきた反応で一番多かったのは
「私に(ななこのために)何かできることはありますか?」というものでした。
私は今まで、実にたくさんの人に支えられて生きてきたんだな・・・というのを
痛感した1週間でもありました。

November 01, 2004

周りの反応(1)

私の病名を上司2人に話したことは書きました。
今日は他の人の反応を書きます。

~同じ課の後輩A~
長期療養前提の病気である、と言っただけで
なぜか彼女は私の病名を1発で当てました。(なぜ?)
聞けば、彼女のお母様が同じ病気をされて克服されたとのこと。

後輩Aはお父様の仕事の関係で、海外在住歴が長いのですが
お母様はカナダにいたときに、病気が発覚して手術。
「くりぬき型」という手術だったそうで
今見てもどこを手術したのかわからないくらいの
過去の話になっているそうです。

彼女は仕事中、私の気持ちを気遣って
「お母さんも治ったし、ななこさんも大丈夫!
悪いほうに考えたらいけませんよ。」とかいろいろ声をかけてくれます。

さらに「AHCC」という高価な栄養補助食品を譲ってくれて
「これ、とても体にいいから飲んでみてください。
化学療法をやっても、副作用が出づらいと言われているそうです。
体にいいので、うちの家族はみんな飲んでいます」と言われて感謝、感謝。

~同じ課の後輩B~
私の病気を厳粛に受け止めてくれました。
「良性ですか、悪性ですか?」とはおそらくはずみで聞いてきたのでしょう。
一言私が「悪性」と答えると、押し黙ってしまいましたが
「私の親戚にもいましたが、今も元気にしています。
治る病気だと思います。」とコメント。
その後、私の病気には触れることなく、普通に恋愛相談とかしてきます(笑)

~同じ課の先輩A~
休職することを伝えるにあたり、病名こそ出さなかったものの
手術&化学療法のことを伝えたところ
「ななこ、結婚前なのに・・・」とコメント。
その後、たまたま化粧室でバッタリ会って2人になった瞬間があったのですが
「私もね、前に胸にしこりらしきものを見つけて、病院を受診したの。
結局何ともなかったけど、結果を聞きに行く前の日の夜は、1人で泣いたよ。」と。
私が仕事を休んだら、この先輩に一番負担がいってしまうんだよな、と思ったら
申し訳ないなという気持ちでいっぱいになった。

~習い事1(ピアノ)の先生~
私は月に2回ピアノを習っています。
子供の頃~高校受験直前頃まで習っていましたが
その後は受験のため、一旦ピアノから離れ
今から5年くらい前に、現在習っている先生(40代前半・女性)のところで習い始めました。

病気のことなど、細かいところは避けて、ただ休みたいとだけ言うつもりが
実際はそうもいかず(→「手術と入院が必要で、その後も治療が長く
かかると言ったら『えっ、どうしたの?』と驚かれてしまい
話さないわけにいかなくなってしまった)、結局事情を伝えました。

けれど先生はちっとも驚かず「ショックだと思うけど、実は私の叔母が
何年も前にやっているの。今でも元気で親戚中でも一番元気よ。
あなたの病気は、切れば治るんだから!
それよりも、私の母は長年躁鬱病を患っていて
変な言い方だけど、こういう精神的な病気はなかなか快方には
向かわないの。それを考えれば、あなたの病気は治療ができるのよ。
気をしっかり持って、大丈夫!」と言われました。
そして「治療がひと段落するまで、レッスンを休みます」と言ったら
「戻ってくるの、待ってるから!」と言われて(そう、私は絶対に戻ってくる!)
と心に決めたのでした。
この日、私はレッスンを受けに行ったのに、気持ちが沈んでいて
曲を弾く気にはならず、今考えても、告知直後(告知を受けて4日目くらいだったかな)
の精神状態がいかに最悪だったか、今でも思い知らされます。

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